2006年09月06日

●『罪と罰』ドストエフスキー

 新潮文庫(上下)、488+502p

 名著。

 主人公ラスコーリニコフが高利貸の老婦人とその妹を殺し、終いには自ら出頭するというのがメインストーリー。
 それと同時に、妹や母、また友人が絡んだ出来事も進行する。


 主人公は、殺人自体に対する罪はないと意識上では考えている。というのは、彼の行動の元となった考えが次のようなものであるからだ。

「人は天才と凡人の二種に分けられる。天才はいかなる事を行おうとも(例え殺人でも)罪を負うことはない。なぜなら、罪の定義そのものを定めるのも天才であるからだ」
「一の僅かな悪行は百の善行で贖われる」
 

 彼はきびしく自分を裁いた、しかし彼の冷酷な良心は、誰にでもあるようなありふれた失敗を覗いては、彼の過去に特に恐ろしい罪は何も見出さなかった。
 彼が恥じたのは、つまり、彼、ラスコーリニコフが、あるひとつの愚かな運命の判決によって、愚かにも、耳も目もふさぎ、無意味に身を滅ぼしてしまい、そしていくらかでも安らぎを得ようと思えば、この判決の≪無意味なばからしさ≫のまえにおとなしく屈服しなければならぬ、ということであった。

 あくまで己が考える後悔、罪の意識の対象は自身を天才と勘違いしたこと、そして犯行時・犯行後の無駄な言動である。
 しかし、相手の妹まで余計に殺してしまったという所から特に生じる、潜在的な罪悪感は膨張していく。
 

 混沌とした主人公の頭の中、そして彼を中心にして起きるこれまた混沌とした出来事が不思議と上手くまとまっている。
 ドストエフスキーは天才、もしくは気違い(であった経験がある)かのどちらかだろう。

14713p/42195p

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