2006年09月06日

●『異邦人』カミュ

新潮文庫、146p

 これがおそらく主人公の思考の核を一番よく窺わせる箇所だと思われる。

 司祭は、……(中略)しかし、あなたはおろさねばならぬ罪の重荷を負うている、という彼の信念を語った。人間の裁きは何でもない、神の裁きが一切だと彼は言った。
 私に死刑を与えたのは人間の裁きだ、と私が言うと、それはそれだけのものであって私の罪を洗い清めることはない、と彼は答えた。

 罪という物はなんだか私にはわからない、と私は言った。ただ私が罪人だということをひとから教えられただけだ。私は罪人であり、私は償いをしている。誰も私にこれ以上要求することはできないのだ。


 主人公ムルソーは母が死んだという連絡を受け、その葬儀を養老院で行うところから物語は始まる。
 その後に友人、女が絡んで殺人を犯し、審理の後に死刑を宣告されるというのがあらすじである。

 殺人は現代的に見れば正当防衛(相手が鉈を持って迫ってきたため、やむなく発砲した)とも取れる状況で起きた。
 しかし、主人公が「母の葬儀の際にまるで悲しむ様子がなかった」「葬儀のすぐ後に女と喜劇映画を見ている」等の理由で死刑が宣告される。現代ではまず有り得ない、キリスト教的判決である。


 ちなみに、文庫裏表紙の解説には「通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソー」とあるが、私としては一貫性がないとは思えない。
 いささか風変わりな思考体系を持った男ではあるが、全部とは言わないもののその一部を理解することはできたと思う。
 素晴らしいというほどではないが、ちょっとした息抜きにはなる本であろう。短いことだし。

 14859p/42195p

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