2007年05月05日

●春休み分+アルファ

溜め込みすぎるとなかなかレビューが書けない。本当は最初の三セットなど人生を変えたと言っても過言ではないほど多大な影響を受けたので、相当量のレビューを書いてしかるべきなのだけれど、とりあえず第一プロジェクトくらい早く完走しちゃいたいので、先だってページカウントだけ投稿してしまいます。ご了承。申し訳程度にコメントだけつけました。

『ヴィリエ・ド・リラダン全集』/2000p
未來のイヴで魅せられて、その勢いで図書館の書庫に潜って全冊持ち出し(詩以外)完読。ページを確認せず返してしまったものの、少なく概算して2000pで計上。お気に入りの短編は『ヴェエラ』『至上の愛』『アケディッセリル女王』かな。

アンデルセン『即興詩人』/岩波文庫・560p
明治翻訳文学の金字塔と言われる森鴎外訳のアンデルセン作品。谷崎の文章読本からリラダンを通してこの即興詩人に到る三冊が、私の筆の方向性を完全に定めたものです。何カ所かもノートにひたすら写しました。いや、名訳。

新田大作『漢詩の作り方』/明治書院・130p
題名通り漢詩の作り方の指南本。130pといっても付録の詩語編は(本とは言いにくいので)計上していないので、薄いわけではありません。結構本格的です。

『李白詩選』/岩波文庫・372p
言わずとしれた唐代の詩人・李白の主要な詩を精選したもの。その収録数百二十首。どれがよいと言われれば色々上がるけれど、二点、「廬山の瀑布を望む」と「月下独酌」が特に好み。

宮本輝『蛍川・泥の河』/新潮文庫・199p
久しぶりの現代作家さん。漢詩の後に読んだからか、作風なのか、出来はともかくラノベ感が否めない軽さ。面白いとは思うけれど、対象年齢は内容を身近に実感できるもう少し下(中学生~高校生)か、逆に青年期の思い出にしみじみしたい上(中高年)かと思う。あくまで独断と偏見。

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分・有用性の限界』/ちくま学芸文庫・413p
まず一言で言って作者が奇人。狂人といっては失礼にあたるが、その恐ろしいまでの才能を評価して言う狂人が適切かと思う。彼と同種のシゴトをしていたロジェ・カイヨワなんかは、かなり昔に読んだときは割と普通に感じられたのだけれど、この人は一見人当たりがいい文章を書くだけに、その内実を直視すると非常に恐ろしい。是非とも全著作を読みたい、けれど怖いので一旦離れることにする。

夏目漱石『草枕』/新潮文庫・235p
国文学の王道、夏目漱石先生の著作に始めて触れてみる。と同時に、これが個人的な「中学生の読書感想文的読書分を補給しよう」作戦の第一歩。ランダムピックにしては好みのものを引いたなぁ、と思える一作。

国木田独歩『武蔵野』/新潮文庫・304p
志賀直哉のスマートな文体が一時期の文章家たちの「お手本」だったとすれば、この人はある意味私専用の「お手本」。決してうまいわけではないが、憧れてしまうような表現も随所に見られる。もし「無味乾燥だが整っていて問題のない文章」が書けるようになって、さあどう味付けする? と言われたら、間違いなくこういう味付けを選ぶだろう、とでも言うような。といってもレビューじゃないと引用がないからさっぱりだけれど……そこはそれ。見かけたら立ち読みしてみるだけでなんとなくわかるはずです。

志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』/新潮文庫・324p
さすがは小説の神様と言われるだけあって、まず読みやすい、そして面白い。非の打ち所がないと同時に、とても無難な印象を受ける。上にも触れたが、確かに「お手本」たる理由がわかる。志賀の文章を丸写しして作家になったという人が本当に幾人かいた時期もあったのだから、やはり優れているのだろう。話としては『焚火』と『雨蛙』が好み。

国木田独歩『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』/新潮文庫・382p
志賀さんを挟んでふたたび国木田独歩。新潮から出ている文庫では武蔵野とあわせてこの二冊で全部です。安値でもっと読みたかったけれど仕方ない。『春の鳥』が最好。

以上合計4919p。足してみると意外と多いようで、こんなものか、という感じ。読みかけで放置してる本も案外多いし、あれらを読破すればまずまずなのか……クリアがもう少しのようで遠い。(笑)

33682p/42195p

2007年01月27日

●冬休み分まとめ

なかなかレビューを書いてる暇がなので、あまり離れすぎても何ゆえ頁数だけ計上しておきます。あとでレビュー書きたいのだけ書こう。もう書いてるのもいくつかはあるのだけれど。

プラトン『プロタゴラス』 岩波文庫・青/204p
加納朋子『魔法飛行』 創元推理文庫/323p
アリストテレス『弁論術』 岩波文庫・青/525p
『自然手帖』 平凡社ライブラリー/677p
『哲学を読む』 人文書院/298p
カンパネッラ『太陽の都』 岩波文庫・青/184p
『リルケ詩集』 新潮文庫/246p
キェルケゴール『死に至る病』 岩波文庫・青/237p
J-P.サルトル『嘔吐』 人文書院/306p
三島由紀夫『文章読本』 中公文庫/236p
谷崎潤一郎『文章読本』 中公文庫/236p
ヴィリエ・ド・リラダン『未來のイヴ』 創元ライブラリ/492p
シャトーブリアン『墓の彼方の回想』 114p
シャトーブリアン『わが青春』 145p
ラ・フォンテーヌ『寓話』 社会思想社/304p

以上(多分)。計4527頁計上にて、
28148p/42195p

2007年01月02日

●椎名誠『ガリコン式映写装置』

本の雑誌社/311p

様々な顔を持つ椎名誠の、こちらは映画監督としての一冊。
映画制作の一連の話から映画に関するエッセイまで、あらゆる雑誌に掲載された文章がまとめて収録されている。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の面白いのは映画的表現でするのが最も効果的な話を、ちゃんと映画でやっている、ということだと思う。

という一文にものすごく共感した。
メディアは手段だ。
目的・内容に応じて使い分けるものなんじゃないか。
面白い作品は、その内容をしっかりわきまえ、表現している。
…こういう含みを持っているように感じられた。

23621p/42195p

●椎名誠『新宿熱風どかどか団』

朝日新聞社/301p

椎名誠の自伝的小説。
時系列的には『本の雑誌血風録』に続く作品であり、著者が物書きとして軌道に乗ってきた頃の話が綴られている。
ストレートで分かりやすい文体。
力強い著者の生き様に憧れる。

『哀愁の街に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春編』『銀座のカラス』『本の雑誌血風録』という流れで続く一連の作品群、とあとがきに書かれているが、これに『麦の道』『黄金時代』を加えれば椎名誠の半生を一通り垣間見ることが出来るだろう。

23310p/42195p

2006年12月06日

●「ニート」って言うな!

著者:本田由紀、内藤朝雄、後藤和智

光文社/310P

※ニート擁護本ではありません。ニートとは何か、その問題自体を考える本です。

述べられているのは大きく分けて下の3つ。

NEET(=Not in Education, Employment or Training)という言葉の持つ本来の意味と、日本で言われる「ニート」とは大きく違います。日本でも昔から「NEET」はいました。そしてその数は今もそんなに変わりません。ではなぜ、「ニート」が増えているのでしょうか。

社会の中のニートとはいったいどのような存在なのか。ニートが生んだ事件、社会現象が、現実としてどのように現れているのか。

ニートという言葉はいつごろから広まったのか。そしてまた、どのように広まったのか。

以上の3つを3人の著者がそれぞれ担当されています。内容を簡単に言うと…

「NEET」を理解せずして「ニート」は語れない。「ニート」を批判するなら「ニート」を知ってから!

ということですかね。

23009p/42195p

2006年11月19日

●ゲーデル『不完全性定理』

岩波文庫・青/309p

第一部にゲーデルの不完全性定理に関する論文の翻訳を、第二部にその解説を収録。
不完全性定理は数学の定理でありながら、哲学、心理学、社会学など様々な方面に多大な影響を与え、多くの人の興味を惹いてきた。名前だけは聞いたことがあるという人も多いのではないかと思う。

では不完全性定理とは一体何なのか。巷には「サルでもわかる」解説も多い。事実、不完全性定理はその本質からいって、「意味」だけを知るのにたいした苦労は必要ないのである。しかし恐らく、実際の論文を見ないことにはこの定理の感嘆すべき厳密性もわからないし、歴史的背景を知らなければその「意義」はわからない。不完全性定理は一人の天才がぽっと出で世に示したようなものではなく、ゲーデルに至るまでの間に、幾人もの大数学者たちが繰り広げた「数学基礎付け運動」の壮大なドラマがあったのである。

論文部分は二回や三回ではなかなか理解しづらいため、相当回数読み直したり数式を紐解く必要があるが、解説は数式そのものよりもほとんどをヒルベルト計画をめぐる歴史的背景に費やしていて、平易で読みやすい。第二部の最後に設けられた不完全性定理の発展的解説も、「読めばわかる」といった性格のものである。

下手な小説よりよほどわくわくする、と私は思う。

22699p/42195p

2006年11月04日

●シュテイフター『森の小道・二人の姉妹』

岩波文庫・赤/339p

アーダルベルト・シュテイフターの習作集から、選りすぐりの二編『森の小道』と『二人の姉妹』を収録したもの。『二人の姉妹』は本邦初訳である。
普通、感動ものといえば『狭き門』のように最後の最後に誰かが死んでしまったり、何かが成就しなかったり、あるいは誰にも不幸が訪れない場合には、よほど劇的で感動的なラストが用意されているかであると思う。めでたしめでたしの童話風な結末では、そうそう深い感銘は読者に残らない。ところが、『森の小道』と『二人の姉妹』はどちらの話も物語的にはありきたりなハッピーエンドで終わっているにも関わらず、陳腐どころかなんだかほっとするような心温まる印象と、読後も長い間胸にとどまる感銘を残す。これこそ、まさにシュテイフターの筆の巧みさの為せる業であろう。

夜には、彼女はそっと、いわば試みるとでもいうようにだけ弾いた。泉はまたときどき止められていた。そよ風が広大な自然のきらめきのなかに流れ、月はようやく満月になって、真に壮麗な輝きを荒れ野の上に投げていた。私はいつも窓を開け、窓に身を寄せながら、音のつづく限り聞いていた。

ところで、同じシュテイフターの『水晶』(岩波文庫・赤)のレビューをかなり前にした際に、この人の文章を「透明な筆」と形容したのを覚えている。この二作も同じような印象だった。透き通るような描写とだけいってもいまいちぴんと来ないかもしれないが、確かにそうなのだ。

どういう意味なのか気になる人には、これはもう実際に読んでもらうより他にない。
参考までに、ジャスト700円である。

21947p/42195p