夢薄荷

 「どうしても片付けたい悩みごとがあったらしくてな」と魔理沙は言った。言って、少しにやりとした。「それで苦心の末にアリスが辿りついた一策っていうのが、つまり、絵を描くことと、薄荷はっかを噛むことだったわけだ。これがどうやらうまくいったみたいで、いつになく 嬉しそうだったぜ」
 茶受話の自分の番に、魔理沙はこう切り出して、炬燵に茶菓子を囲む面々の顔を見やった。 霊夢、咲夜、妖夢、紫、藍の五人はいずれもその意味を解し得ないというように、みな一様 にぽかんとして、不思議そうな視線を魔理沙に集めている。そんな様子に魔理沙はまたにや りとして、いよいよ話し始めというふうに「あー」と間延びした声を出した。これは博霊神 社の一室を貸しきって、従者たちはきっと仕事の息抜きに、あとはお決まりの閑人連が、思 い思いに集っては喋る、正月恒例のささやかなお茶会である。
「大晦日、アリスのところに遊びに行ったんだ。ハナから泊まるつもりだったから、寝袋一 式に上等なすきやき肉と葡萄酒一本提げて――いや、あいつ泊まりのときもベッドに入れて くれないんだよ。前のときなんかとうとう床に寝かされてさ、それで同じ徹は踏むまいと用 意周到な霧雨魔理沙さんは万全を期したってわけだ。実際、寝袋抱えて扉開けたときの、あ の呆れ顔は面白かったな。――それはともかく、訪ねてみたら、いつもより机が窓の方に寄 せてあってさ、空いたところにぽつんとひとつイーゼルが置いてあるんだ。茶色くてなかな か結構なものだったんで、はじめはインテリアかと思ったけど、表側に回ってみるとちゃん とキャンバスが立ててあって、書きかけの人形の絵が――出来はまあ、下手でも上手でもな いな――たぶん机の端にちょこんと上海が座ってるのを写してたんだろう、簡単にデッサン されてたよ。私もあいつがキャンバスに向かってるところなんてはじめて見たもんだから、 『絵なんて珍しいな』って思わず言ったら、それには『まあね』くらいの淡白な返事で、あ とは『ちょっと待っててね』なんて言ったきり、キリのいいところまで仕上げたいのかまた 鉛筆持ってしばらくはデッサンさ。縫い物のときみたいに黙々集中してたから、よほど真剣 なんだろうと思って、まあ珍しい光景だし、ぶらぶらしながら後ろで見てたら、ふと気づい たことには、たまに空いてるほうの手を机のほうに伸ばしては、何か口に入れてるんだよな。 気になって覗いてみたら、お菓子でも入ってたような藍色の平たい缶に何か葉っぱみたいな のが敷き詰めてあって、つん、と冷たく匂ってきたと思ったらこれが薄荷でさ。デッサンし ながらしきりにそれを噛んでるんだ。『何してるんだ?』って聞いたら、『わからないなら、 まだ秘密』なんて珍しく子供っぽく笑うから、そのときはなんとなくすかされてちゃってな」
 とここまで話してきたとき、魔理沙は急に言葉を切った。というのもひとり妖夢が顔色赤 く、話の先を聞くに忍びないとでもいうように、どこか目を伏せがちに、魔理沙から視線を 逸らしていたので――。四人もその変化を認めて、互に顔に顔を見合わせているところへ、 ははん、と魔理沙は一笑して、
「妖夢、お前、やったことあるだろ」
 と目を細めて、つつくように問うと、妖夢はいかにも答えに窮したというようにすっかり 顔を赤らめ俯いてしまった。事情のわからぬ四人にも、そのやりとりからわかることには、 恐らく妖夢は経験から、いち早く魔理沙の話の顛末に気づいてしまったのに違いない。さて ほかの面々はいよいよ興味津々、身を乗り出して話の先を促したのである。
「私もじきに手持ち無沙汰になって、下書きが終わったころにはテーブルで勝手に本でも読 んでたんだけど、紅茶入れて、クッキーつまんで喋りだしたときにはもう薄荷は噛んでなか ったな。話し方にもとくに変わったところなんかなくて、――何の話って、いろいろだよ。 そんなの聞いたって仕方ないぞ、果物の話とか、初詣の話とか、魔法の話とか、とりとめな いなんてもんじゃない、いつか宇宙創生論の話題まで飛んだんだから。ああそうそう、それ で結局夢の話になったんだ。で、前のベッドに入れてくれなかった件といい、アリスが妙に 寝ることにうるさいのも、どうもこの夢のせいらしくて、毎晩必ず見ないと気が収まらない んだと。『毎晩なんて難しい相談だろう、夢なんてそうそう見ないけどな』って言ったら、 さも当然とばかり『だってあなたは寝相が悪いじゃない』って言って笑うから、なんで寝相 が関係あるのか聞いたら、『仰向けに寝ないと夢は見ないのよ』だってさ。どうも本当らし いぞ、知ってたか? それならどうりで私は毎日は夢を見ないわけだ。しかし今思うと、た しかに前に見たあいつの寝相は、なんていうか、気持ちわるいくらい整ってたな。左にも右 にもちっとも傾いてなくて、まっすぐ天井向いて、もちろん寝返りなんて打たないし、寝息 が聞こえなかったらまるで等身の人形だぜ。そう思うと、まったく、怖いくらいの執着だよ。 『夢のおかげで二倍生きられるんだから』なんて言うような奴だから、よほどただ寝、、、はいや なんだろうな。――そんなこんなで、喋りながらにすき焼きつついて、食べ終わったらアリ スはお決まりの人形繕いだから、私はそのあいださっき読みかけた本でも開いて待ってよう と思ってたんだ。けどなんとなく落ち着かない気がして、読書も身が入らないから、たまに 本を閉じてうろうろしてたら、部屋の隅にさっき見たのと同じような人形の絵の仕上がった のが何枚も重ねてあってさ。驚いて聞いたら――本当は繕い物のときに話しかけると怒られ るんだけどな――なんでも、一週間以上前からずっと書いてるらしい。私はもうてっきりア リスが絵画にでも目覚めたかと思ったよ。このときは」
 「あらあら」と頓狂な声があがって、話はまたここで途切れた。「妖夢、あなたそんなこ としてたの。可愛らしいこと」と殊更声を大にして、くすくす笑うのは紫であった。そうし て、逃げ場もなくただ小さくなるしかない妖夢を相手に、いっこう容赦なく「誰が相手かし ら、なんて、聞くまでもないわねぇ」などとやたらにせせらかすので、「よくわかったな。 年の功か?」と魔理沙が茶化すと、冗談だぜ、と二の句をつぐ間もなく、スキマから這い出 た手が魔理沙の頬を思いきりつねって――その思いきりというのも、閑静な冬の神社に突如 上がった高い悲鳴に、森の鳥たちが驚いて羽音鋭く幾羽か飛び立ったほどである。にこにこ と笑顔を絶やさぬ紫に、ようやく「冗談だぜ」と言い得ると、魔理沙はぐいと涙を拭って、 いよいよ話は佳境に入るのであった。
「そのあとは服見せてもらったり髪梳いてもらったりなんだり。気がついたらだいぶ寒くな って、雪でも降りそうだなあ、なんて心配してたけど、陽が落ちてみれば氷みたいな月の良 い夜でさ。せっかくだから今日はあれでも肴に初日の出まで一晩飲もうぜ、って誘ったんだ けど、アリスのやつ、『初日の出は起きて見るものよ』とか『宵っ張りは身のためにならな いわよ』とか、挙句には『とにかく私は十二時には寝るわね』なんてにべもなくて、どうし ても夜更かしはしないつもりらしいから、仕方なく私もお湯だけ借りて寝支度さ。最初の除 夜の鐘でお開きに決めて、持ってきた葡萄酒開けて、火鉢で林檎焼いて――寒い日には最高 にうまいぜ。で、気がついたら鐘も鳴って、酒も費えて、歯も磨いて、さあ寝ようかってと きになって、まだ薄荷の缶が開けっ放しになってるのに気がついてさ。正直薄荷のことなん て、酒も酌んだし綺麗さっぱり忘れてたんだけど、とりあえずフタくらい閉めておこうと思 って缶に触ったら、『まだ使うからそのままにしておいて』なんて言い出すんだよ。まだ使 うっていつ使うんだと思ったら、灯りも消して、もう横になるばっかりってときになって、 ふらふら缶の方に行ったかと思ったら薄荷一枚つまんで、あいつ、それを口に入れてそのま まベッドにもぐったんだ。暗かったけど確かにそう見えた、それに『おやすみ』の声がちょ っと篭もってたから間違いないぜ。とはいえ、どうにもわけがわからないから、ほろ酔い加 減の頭でもって一生懸命なんなんだ、なんなんだ、なんて寝袋の中で考えてたら、気づいた ときにはアリスに起され起され、寝ぼけ眼で眩しい初日を見てたぜ」
 ここで話は自然に切れた。「私もやってみようかしら」と咲夜が小さく笑った。そうして 「あなたまでそんな乙女チックなこと言って」と紫が雑返まぜっかえしたのもさしては気に留めていな いように、「いいじゃない、夢があって。ねえ」と隣の妖夢を気づかう素振り、けれど当の 本人は慰められたような、余計にはずかしめられたような、なんとも言えぬ複雑な心持ちが して、やはり悄気込しょげこむほかにはなす術を知らないのであった。  こうして取り残されたのは霊夢と藍、二人ばかりである。「お前らにはわからないだろう と思ったぜ」とにやにやする魔理沙、見るからに不満そうな藍の表情。そこへ「何なのよい ったい」と焦々いらいら混じりの霊夢の声がきっかけに、魔理沙の茶受話も、この二人のためにはいよ いよ仕舞いを迎えるのであった。
「鈴が鳴るとよだれの出る犬の話、知ってるだろう。あれと同じだよ。去年は駄目だったっ ていうんで、今年こそアリスは初夢にどうしても上海が見たかったのさ。それでわざわざ慣 れない絵まで描いてイメージトレーニング、いつだろうと薄荷が匂って来たら、すぐに上海 を想い起こすように体を慣らしてたってわけだ。――まあ、私もつい今朝聞いたわけだけど、 話す様子がえらく幸せそうだったんで、ひとまず安心したぜ」
(2008年01月01日 「東方創想話 作品集その48」にて公開)

Zip版あとがき

新年明けまして一日目に何か書いてみたいなと思い立って、ペンを片手にぼんやりしていたら、なんとなく頭に浮かんだ 「初夢」に見たいものを見る話。それをそのままアリスに実践してもらったものを、表現形式としては新しい試みとして、そっくり魔理沙に 語ってもらうことにしました。一人が延々顛末を話していく形式はよく見かけるものですが、これがなかなか難しいもので、 リズムを保つのに四苦八苦しました。トルストイや江戸川乱歩なんかが躍動感ある物語を登場人物のモノローグでさらりと書いてしまうのは、 見かけ以上に実に洗練された技なんだなあと再認識させられたものです。